「東京の農業」を考える(18) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(18)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 農業の世界観と新たな時代の可能性


 しかし、長いあいだ日本は、自分たちがつくりあげてきた別の世界観を破壊されることなく、うまく立ち回ってきました。日本的なシステムと呼ばれることもあるし、日本人の生き方のある部分を、うまく保ってきました。
 ですから、表面上では、アメリカナイズされた経済システムや技術の体系を見事に自分のなかに取り込みながらも、こっそりと、それによって破壊されない部分を保ち続けてきました。それは、ある意味でいうと、人間がお金を持っても、決して自由になってはいけない、お金が人間を自由にするはずはない。ましてや、一方的な自由を自然のなかに、あるいは、ほかの人間に対して行使してはいけない、こういう世界観が生きていたのでしょう。
 ですから、日本的な会社とか、日本的な資本主義というものが、そこでは生き続けることになりましたが、そのベースをつくっているのは、農民がつくりあげた里山的な秩序だったと思います。
 それがいま、大変な危機に瀕しています。私たちは、フジテレビ問題というのを高嶺の花で見ていますけれども、ある意味でいうと滑稽ではありますが、とても恐ろしいことが進行しています。
 あれは手の施しようがありませんけれども、しかし、そこでは非常に恐るべきことが進行しています。つまり、旧弊な日本のシステムを、お金の力で破壊できるということを実証します。実際に、銀行などを通じてこれは破壊されてきたわけですが、報道産業のようなかなり保守的なもののなかでも、お金の力によってこれが破壊されるということが立証されたとき、この流れが大変食い止められないものになってきます。
 そこで最後に残ってくるのが、農業的原理というものになってくるかもしれません。そして、農業の原理のなかには、現代の世界を突き動かしている狂気に満ちた原理とは違うものが生きています。この原理を絶やしてはいけないと思います。そのなかから新しく、これが私たちが生きてきた原理なのだということを取り出して、それがいま、科学技術や資本主義の問題として、激烈なかたちで現れている世界に、自分の考えをぶつけて問うてみる必要があると思います。
 その意味で、今回の遺伝子操作の問題と農業の問題というのは、非常に重要な問いかけになってくると思います。一長一短で解決、回答の出るものではありませんが、しかし、いま、科学技術がこれに生命を操作というかたちで扱おうとしているものと、農業が抱えてきた世界観のなかに、何か根本的に相容れないものがあることは確かです。
 しかし、この問題をはっきり認識して、そして農業らしく、新しい時代の要求のネゴシエーションに応えていくことは可能でしょう。それによって、農業というものが新しいかたちに変わっていくことも、一つの可能性としてあると思います。
 私は、このあとでおこなわれる討論を大変興味深く聞こうと思っていますが、私がここで最後に申しあげたかったことは、農業はいま大変危機に瀕していますが、それは非常に貴重なものをはらんでいる。そして、この貴重なものは、決して、過去のものとか、伝統的なもの、因習的なものというものではなくて、いまや人類全体がなだれ込もうとしている、一種のグローバリズムというものに、本当に「待った」をかけていくための、根本的な原理に成り得るのだということを言いたいと思います。
 いま、そんなことを主張しているのはイスラムの人たちだけですけれども、しかし、よく考えてみますと、農業のなかにある世界観というのは、大変深い。そして、思いやりのある、ある意味でいうと、生物に対して愛情のある生き方や原理が含まれていたはずです。これをもう一回私たちが取り出す努力をする必要があるのではないかという気持ちを込めて、お話をさせていただきました。
 1時間半も、ご拝聴どうもありがとうございました。