「東京の農業」を考える(12) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(12)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 農業はどういう技術であったか


 これに対して、農業はどういう技術であったかということを考えてみる必要があると思います。農業は、自然にあるものの形を破壊して、そしてそのなかから何か抽象的なものを取り出してくるという作業はしない仕事なのです。
 植物を扱います。稲作のことを考えてみてもわかりますが、植物を破壊するということは、水や土を使って稲を育てる過程では、一切おこなっていません。もっと考えてみますと、日本に水田が形成されてきたころのことをちょっと想像してみましょう。
 それまで日本の大地というのは、大変起伏に富んだ地形をしていました。それが地ならしされるようになってきたわけです。水田をつくるためには、水平な土地がないといけませんから、起伏のある土地を平らにならします。あるいは、急斜面ですと、ここに棚田をつくるということをおこないます。
 いずれにしても、いまの宅地造成と同じようなことをしたわけです。ですから、まず、農業をやるためには森が壊されました。森を切り払って、そこに平地をつくることをしたわけです。
 いまの不動産業者が、あんなにきれいだった丘をブルドーザーでかいて、真っ平らにして住宅をつくろうとしています。あの造成の仕方を、建築家たちは「棚田造成」と呼んでいますが、これはよく表していると思います。棚田をつくるのと同じ原理で、宅地造成をおこなうようにしています。
 日本の宅地というのは、ヨーロッパの宅地造成と違って、必ず棚田と同じ造成の方法を取るやり方をしています。ですから、水田耕作と同じやり方を、不動産業者も踏襲しているわけです。
 そうしますと、まず森が壊されて、起伏がならされました。そこへ水田が開かれるわけです。ところが、水田ができあがってみますと、森が切り開かれるときには動物たちはブーブー文句を言っていたはずです。どうして自分たちがいままでいたところを破壊するんだと怒っていたはずです。周辺部の森へ退却して、動物たちは何が起こるか見ていたでしょうね。人間たちがとんでもないことをすると、確かに怒っていたと思いますが、そのうちに、ここに水たまりができて、そこに植物が生い茂るようになったのを見計らって、小さい体の動物たちが、この水田地帯へまた戻ってくるという事態が起こったわけです。
 こうして水田が形成されることによって、かつての森の時代にはなかったような環境が新しくつくられています。確かに、それは森を破壊しましたし、棚田造成によって水平地をつくって、ここに水を流し込むことをおこないましたが、この水を流し込まれた田圃のなかに、新しい生物種が戻ってくるということが起こりました。そしてそれを中心にして、水田の周りに、かつてないような新しい秩序がつくられてくるようになった。これがいまふうの言い方をすると、里山と呼ばれているものです。
 里山の秩序というのは、このようにつくられてきています。一旦は破壊されているわけですけれども、この破壊のあとに、新しいかたちの自然秩序がつくられてきて、そこに生物種が戻ってきている。この生物種が戻ってきて、ここに新しい循環をつくり、前よりも、ある部分では多様性に富んだ豊かな自然がつくられるようになりました。森林や平地よりも、もっとも生物の多様性に富んでいるのは里山だと言われています。里山は多種多様な生物がいます。ここを農民がつくったわけです。