「東京の農業」を考える(11) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(11)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 技術というものの本質


 これはどのようにして考えたらいいかというと、非農業民の典型というのは、職人みたいなものですから、この人たちがどういう仕事をするかと考えてみますと、基本的に、材料・素材を集めてきて、たとえば、刀鍛冶を考えてみますと、火で原料を溶かして、形のないものにします。これを職人芸でトントンとうまく細工して、別の形に変形させるわけです。基本的にはこういうことが職人技の中心です。
 いまお話ししたのは、職人技の中心の鍛冶とか、たたらとか、刀鍛冶とか、そういう金属を扱う人たちの話ですが、いまの話でも少し出てきましたけれども、まず、これは原材料にものすごく加熱して、もと持っていた原材料の形を崩してしまうのです。そして、崩して均質なものにして、金属を取り出すわけです。そして、この均質材に細工を加えて、新しい金属の道具をつくっています。
 木材の職人たちを考えてみますと、木を切り出します。そして、この木材を鉋や手斧を使って変形して、もとの木が持っていた形を壊します。そして、板に変形させたりして、そこから箪笥をつくったり、こういう桶をつくったりします。
 つまり、職人、非農業民がおこなう技というものは、もともと自然のなかに素材がありますが、この形を一旦壊してしまうのです。壊して、抽象的なものをそこから取り出してきて、そしてこれに細工を加えるというのが、非農業の技術と呼ばれているものです。
 これが、実は、技術というものの一つの本質をつくっています。そして、19世紀から20世紀には、科学と技術が結びついて、科学技術というかたちで大変な発達を遂げてくる、ある知性のかたちがあります。この特徴は何かというと、同じことをやるのです。
 つまり、自然のなかに入っていって、その大もとの自然が持っているかたちを壊してしまって、なかから何か抽象的な原理や、抽象的な組織を持ったものを取り出してきて、それを変形したり、細工をしたりして、新しいものをつくり出すということをしています。これが実は、技術というものの本質をかたちづくっています。
 先ほど貨幣の話をしましたが、貨幣というのは形を持たないものです。とても抽象的なものです。この抽象的なものは、勝手にコンピューターのなかで操作もできるし、株の売買で操作することもできます。
 目に見えない抽象的なものを操作することに、いま日本人は狂奔していますが、ここで起こっていることと、技術のなかにあった原理というのは、非常に近いものだということをお気付きだろうと思います。
 技術というのは、自然が持っているものを、一旦形を壊してしまいます。そして、壊してしまったもののなかから、何か抽象的なものを取り出して、これに新しい細工をする。これが技術と呼ばれているものの本質をつくっています。
 ですから、核技術がありますね。原子核を破壊して、そのなかからエネルギーを取り出すという技術がありますが、これなどは、技術というものが持っている原理を、一番端的に表現したものです。つまり、物質を全部凝縮しているものを壊して、そして、そのなかからエネルギーという抽象的なものを取り出すことをしているわけです。