「東京の農業」を考える(10) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(10)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 農業と非農業のちがい


 さて、こういう複雑さを抱えながらも、農業を考えてみたときに、この農業が、ほかの人間がやる生業、商業や、あるいは、職人がやる技術とどこが違っているかということなのです。
 歴史学のほうでは、農業民と、非農業民という二つの概念で分けようという考え方が出ています。農業民というのは、日本人口の大多数をつくった農民たちの文化。これを農業民の文化と呼んでいます。
 ところが、日本の文化をつくっているもう一つの重要な柱というのは、職人の世界なのです。確かに、職人というのは、後々の工業にもつながっていくものです。それから、農業に従事しない人々、山の民とか川の民と呼ばれました。川の水運業であるとか、山仕事をする人々、それから、山のなかで金を掘ったり、金鉱を掘ったりする人、これも非農業に含まれるのです。
 この二つ、農業と非農業の二つだけで見ていったとき、日本の歴史や日本人の文化というのが、いろいろなことでよく見えてくるというのが、いまの歴史学者の主流の考え方になっています。
 この考え方を借りてみますと、非農業、これは先ほど言いましたように、職人であるとか、運輸、川の民、山の民、それから鉱山、こういうものに従事していた人。それから、こういう人々のなかから出現した商人。この人々が非農業民と呼ばれていた人。ひとことで、職人と呼んでいい人たちかと思います。
 これに対して、農業民というものがあるわけです。農業民は、ある時期は、日本の人口の大多数を占めていて、むしろ、都市部に住む非農業民を圧倒していた時期もありました。この人口比は、いまは完全に逆転しています。農業に携わる人々と、非農業に携わる人々の人口比は、いまは完全に逆転して、農業に携わっている人々は、むしろ少数になりはじめた。
 しかし、かつての日本は、これが逆でした。そのときに、農業民がやっていたことと、農業に携わらない人、非農業に携わっている人々の違いがいったいどこにあるのかということを、よく考えてみる必要があります。