「東京の農業」を考える(9) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(9)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 日本人の主食は雑穀だった


 都市の人間は、確かにお米を食べる機会が多かったと思いますが、地方の人間たちは、お米を食べる機会は、1年のうちでも数回だったと思います。お米は主食ではありませんでした。
 私は山梨県に生まれました。みなさんもご承知のように、山梨県というのは、この近郊でも貧しいところだと言われています。八王子などは、山梨県とだいたい同じような方言と貧しさを持っているところですが、私の子どものころでも、主食はお米ではなくて、「ほうとう」を食べていました。
 これは味噌で煮込んだ野菜のなかに、うどんを煮込んだ食べものです。これをうどんに伸ばさなければ、「すいとん」になります。この食べものは、私の記憶をたどってみても、山梨県の人間はほとんど毎日食べていたのではないかと思います。
 夕飯は、だいたい「ほうとう」という家が多かったですね。夕飯でつくり残しておいたものを、翌朝、作業に出かける前に暖めて食べるというのが、一番おいしいと言われていました。お米を食べるというのは、あまり回数が多くなかったのではないかと記憶しています。
 ですから、子どもたちの学校給食がはじまる以前、お弁当を持っていかなくてはいけないときには、農村部の子どもたちは大変苦労しておりました。麦飯の子どもたちが、自分たちのお弁当を隠しながら食べているというシーンに何度も会いました。町場の子どもたちはお米を持ってきていましたけれども、農村部の子どもたちは、あまりお米の入ったお弁当を持ってきていなかったことを覚えています。イモだったこともあります。
 これは日本の貧しさかというと、実は、これは普通のことだったと思います。つまり、日本人の主食は、基本的にはお米ではなかったということです。雑穀が中心だった。とりわけ関東の農業地でつくり出しているものは雑穀類がほとんどですから、これが食事の中心であったということは、ほぼ間違いないと思います。
 ですから、日本人が昔からご飯を食べていたというのは、ひとつの美しい物語としてつくられています。スローフードなどを唱える人たちは、日本の食事は理想的で、お米をスローフードとして食べると言いますけれども、そうではないと思います。
 お米は、それほどスローフードではないと思います。スローフードということを本当に言うのならば、これは縄文時代に食べていた、あの縄文の土器のなかでつくっていた料理が、スローフードの典型だと思います。
 なぜなら、あれは最近、考古学者がいろいろと復元していますけれども、大変ですよ。野菜を細かく切り刻まないといけないのです。それを土器のなかに入れて、長時間コトコト煮込むわけです。そのなかに岩塩を入れたり、肉を少量入れたりして味付けをして、そこへドングリの粉を擦ったものを水で溶いて、団子にして放り込んでいたようです。
 八ヶ岳から山梨のあたりに考古学の研究所がたくさんありますけれども、このあいだ、そこで縄文食の再現をおこなってみえました。そこへたまたま私も出かけていきましたら、山梨県の近所のお百姓さんたちが来ていて、その縄文食を食べてみて、あれ、これは「ほうとう」と同じじゃんと言っていました。
 つまり、日本人が食べていた雑穀の煮物。鉄の鍋になる以前は、長いこと土器で料理をしていますが、この料理の基本的な方法というのは、非常に手間暇かけ、時間もかけた、スローフードの典型のようなものだったのではないかと思います。
 こういう意味でも、日本の農業を考えるとき、私たちはもっともっと自由な発想をしていいかと思います。
 お米の問題というのがあります。これは確かに、日本人のつくり出す農作物のなかでも非常に重要なもので、稲をつくり出すために開発された技術と知識の体系というのは、大変奥深いものがあります。これをよく見ていきますと、日本の農業というもの、あるいは、農業が潜在的に持っている文化的な意味というのがよくわかってきます。
 しかし、もう一つ忘れてはならないことがあります。これは雑穀の問題です。それから、イモなどの根菜類や蔬菜類。つまり、これは水田とは違う地帯でつくられる農業のかたちであって、むしろ、関東平野の洪積台地でおこなわれる農業にとっては、この問題を考えることはとても大事だということです。
 つまり、縄文時代の農業から連続性を持っているようなものが、ここには残っているということです。ですから、私が東京の農業を考えるときの農業といったら、水田でつくられる稲と、畑でつくられる作物。この二つを大きくまとめた全体像を持たなくてはいけない。それと同時に、この二つは歴史が違うものだということを意識しておいていただきたいと思うのです。
 関東の農業、特に東京台地、関東の洪積台地でおこなわれていた農業の歴史は、非常に古いものです。西日本を中心にして展開してきた水田農業とは、ちょっと違うものが生きている。これを一つの前提にしていってもらいたいと思うのです。