「東京の農業」を考える(3) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(3)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 宗教学のゼミがなぜ稲づくりを


 学生のなかには、まだ山形へ行ってやっている連中もいますし、その意味では、もう十数年間、私の宗教学のゼミは、なぜか稲づくりをやっているわけです。教授会では、よく皮肉を言われたりしますけれども、それはとても大事な行為だろうと思っていました。
 一つの理由は、私が学生のころ、中国で文化大革命が起こりました。この文化大革命というのは、いまになってみると、1,000万人も人を死に追いやったひどい行為だと言われていますけれども、しかし、当時の感覚から言うと、ちょっとそうでもないところがあったのです。
 これは都会の学生を、下放(かほう)というかたちで農村部に送り込むということを組織的にやっていました。これはもちろん政治的な意味があったのでしょうが、一つの面は、もう少し純粋な思想的な問題もあったと思うのです。
 この運動を指導していた毛沢東という人は、人間の思想の全体性というのは、都市生活だけでは不充分である。実際に、土や森と結びついた生活のなかで得られる知識というものを人間は体得しないと、全体的な知識、円満な知識は得られないという考え方を持っていたようです。
 ですから、若者たちを農村に送り込んで、農業労働をさせることのなかから、工業化やエリート的な人間を集める。北京や上海という大都会へ集まって、そこで生活している若者たちのなかには、ものの考え方が非常に歪んでしまっている。これを正すためにはどうしたらいいかということで、農村へ送り込むということをやっていたわけです。
 これは大変大規模におこなわれていて、私たちもこれを学生のときに見ていて、大変に興味深い試みだなと思っていました。
 ですが、文化大革命自体は、あまりよい成果をもたらすことなく終わって、学生たちの農村部への下放ということも、あまり現代では高く評価されなくなっていますが、実際はそうではないのです。大変よい成果をつくっていると思います。
 なぜなら、いま中国の映画は非常に進んでいます。優れた映画監督をたくさん輩出していますが、この映画監督のほとんどすべてが、下放を体験している人たちなのです。映画を通して人間をとらえるときに、上海や北京のような都会に住んでいたのでは到底身に付かないある種の世界観を、この人たちは身に付けた。
 それは、非常に中国の辺境部へ飛ばされるのです。タイやチベットの国境地帯とか、とりわけ中国でも遅れている地帯へ飛ばされたわけですけれども、そこで獲得した人間観というものが、いまの映画芸術などをつくる場合に、大変豊かなものをつくり出しています。
 ですから、人間的にはとても豊かになったのだろうと思います。ただ、この世代は英語の勉強をさせられませんでしたから、いま中国は大変なエリート社会になっていますが、その社会では脱落者になっています。負け犬ですね。まったく私たち世代ですが、完全に敗北世代で、負け犬世代です。
 しかし、エリート社会の道からはずれてしまったのですが、芸術の領域を担っているのはこの人たちです。ですから、豊かな人間であるということと、エリートの競争社会ということは両立し得ませんから、そういうことが実際に起こったのだろうと思います。
 しかし、農業とは何かを考えてみるときには、20年ぐらい前に中国人が考えた問題というのは、いまだに大きな問題をはらんでいると思います。
 農業とは何か。そして、農業と対立しているもの、たとえば、工業とか商業、こういうものとの違いはいったいなんなのか。そして、現代の社会は確かにお金が中心になって動いていて、お金がすべてだという考え方が大手を振ってまかり通っていますが、お金は本当にすべてだろうか。
 しかし、お金でない価値があるとしたら、それは生活のかたちとして、産業のかたちとして、どういうかたちをとるだろうかという問題を考えるときに、農業を考えることは非常に重要なことになる気がします。