「東京の農業」を考える(1) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(1)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


1 私と農業との縁


 中沢です。こういうMANDALAというのは慣れませんね。曼荼羅というのは、真ん中に大日如来がいますけれども、後にも横にもいたりして、どこへ焦点を合わせていいかわからないという、きっとこんな感じなのでしょうね。焦点を合わせないための、こういう会なのかもしれません。
 遺伝子組換え問題というのは、焦点が非常にシャープな問題ですから、それを、遺伝子組換え賛成・反対ということで、シャープに議論をする場も必要だと思うのですけれども、それをもう少し広い視点に持ち上げて、そこで遺伝子問題や、あるいは、もっと大きいものは現代の農業だと思いますけれども、とりわけ東京でおこなわれている農業について、四方八方に問題を広げるという意味で、MANDALAという言い方を使っているのだと思います。
 私は最初の話のきっかけを与えるようにと頼まれました。もちろん、私は遺伝子組換えの専門家でもありませんし、学生のときに生物学は勉強しましたけれども、生物の基本を専門に研究しているわけでもありません。宗教学とか人類学の研究を長く続けています。
 そういう人間が、どうしてこの場に呼び出されているのかと言いますと、いろいろな因縁があります。いま私は、八王子の中央大学というところで教えていますけれども、そこのゼミでは、八王子の奥に恩方町がありますが、昔、きだみのるという人が、『気違い部落周游紀行』という、大変なベストセラーを書いたところです。
 「気違い部落」などとは、いまは絶対に使ってはいけない言葉で、この本も岩波新書から出ていたのですけれども、岩波書店から出せなくなった本ですが、日本の社会の一番基本的な問題点というか、魅力を描き出した本です。このモデルになった村というのが、八王子恩方村というところでした。
 これは東京の近郊で、八王子からバスで30分もかからないところにあるのです。ところが、ここは本当に東京だろうかと思うような田園地帯になっています。そこに、かつては水田がたくさんつくられていましたが、いまは数軒しか稲作をおこなっていません。
 そのわずか数軒のうちの一軒の方から田圃を借りまして、ここで学生といっしょに稲作をずっと続けています。もう数年やっていますが、それ以前は山形県の新庄の山のなかで、寒冷地農業に取り組むということもやっていました。