「東京の農業」を考える(5) | 雨に濡れても‥中沢新一

「東京の農業」を考える(5)

遺伝子組換え作物の<MANDALA>

    <縁>の座:「東京の農業」を考える

        座 長:中沢新一さん(中央大学教授)


■ 農業とは何なのかを考えること


 こういう体験を通してみますと、農業というのが、いまの日本の社会をつくっている基本的な原理に合わない原理をはらんでいることがよくわかります。しかし、合わないけれども、そこに何か非常に重要な意味が含まれているということもわかる。
 私たちは人間についての学問をずっとやっていますけれども、この問題を考えるときにも、私たちはいまの社会のなかで見えなくさせられているもの、あるいは、表面に出てこれなくさせられているもの、それが表に立って自己主張をしはじめると、何かそんなものは格好悪いだとか、時代遅れだと言って、あざ笑ったりすることによって、相手に恥ずかしい思いをさせる。恥ずかしい思いをした人たちは、こそこそ引っ込んでいきますから、そうすることによって、自分たちがやっている行為、つまり、極端なかたちで言うと、ありとあらゆるものを金で決定していく原理ですが、この原理のなかに、日本人の生活すべてを巻き込んでいくような動きが進行してしまっている。こういう動きはよくないと思います。
 そして、社会全体を動かしている方向とは違うものを考えたり、違う生き方をしたり、違うものをつくろうとしている人たちをあざ笑ったり、あるいは、時代遅れであると言ったり、田舎者であると言ったりして、恥ずかしい思いをさせようとする社会は、非常に不正義であると思います。これには、私は大変ずっと憤りを持ち続けています。
 そして、こういう現代のような、むしろ、お金という原理ですべてを動かしていくものが、極限状態まできてしまっています。
 いまのニッポン放送とフジテレビの売却問題などを見ていますと、これはお金の原理、お金というものですべてをつくり替える。そして、言いなりにしていくという原理が、極限まできてしまっているというのが、日本人にはよく見えるようになっています。
 しかし、この原理はどんどんと進行しています。世界的にこの動きが拡大しているからです。この動きに抵抗していく。あるいは、違うものによって立って、それに自信を持って、自分たちの人生を切り開いていく道を考えるにはどうしたらいいだろうか。こういう問題を考えると、私はどうしても農業の問題に行き着かざるを得ないと思うのです。
 今日は、この農業の問題。農業というのは、現代の人間がやっていることのなかで、いったいどういう意味があるのだろうかということを考えて、お話ししてみたいと思います。